記憶の水底

8月16日(水)~18日(金)

平日のことはあまり日記にも書きたくない。
というか数日前の出来事なのにもうよく覚えていない。

     *     *     *

【16日(水)】
起きれない。
起きれず、ギリギリに出社。週明け定例の会議があるかと思ったが、まだ休みの人が多くやらなかった。
っていうかまだ休んでて良いのかよ。
仕事は非常に暇だった。暇すぎて微妙に気まずかった。

退社後はFGOをやったり録りためたアニメを見たりした。


【17日(木)】
やはり起きれず、ギリギリの出社。
前日から直属の上司が休んでいたこともあり、今日もかなり暇な一日を過ごした。
微妙に気まずくはあったが、正直ずっとこれで良いんだよなあ……。

退社後は以下略。
今週は3日しか出社しなくて良いのに、3日間の出社があまりにもしんどすぎる。


【18日(金)】
もう全然起きれなくなっちゃったね。
ギリギリ遅刻していないため、首の皮は一枚繋がっているのだが。

雨の中往復2時間ほど車を走らせた。その他にもいくつか仕事があり、暇では無かったが気まずくもなかった一日だった。
退社後は通話をするなどした。友人の恋愛話を聞いて少しつらくなったり、通話をしながらガチャを回して水着エレナさんを当てて滅茶苦茶テンションがあがったりした。
27時ごろ、就寝。

8月14日(月)~15日(火)

【14日(月)】
8時半に起きる。
9時から父と親戚の墓参りに行く予定だったが、父も(そして私も)寝坊してしまい、結局10時に出発。
道中供え物を買いながら弘前まで行き、お墓一箇所、親戚の家二か所を回ってきた。
7,8年会っていなかったはとこに会い、その成長ぶりに驚いたりもした。うち一人は来年就職するらしく、その意味でも時の流れの早さを痛感してしまった。
帰りは甲子園をテレビで見たり、ラジオで聴いたりしながら1時間半ほどかけて帰宅。青森山田高校が2回戦に勝った。

午後は少しだらだらしたのち、夕方、父と再び外出。ブックオフに行って「さよなら絶望先生」を大人買いし(20巻までで1800円、更に20%オフ期間でより安くなった。良い買い物をした)、TSUTAYAにCDを返し、極楽湯へ行ってきた。
温泉は良い。一時的につらい気持ちをさっぱり忘れることができるし、考え事もはかどるし、創作意欲もはかどるし、一緒に行った人とのんびりいろいろな話をすることができるので。

帰宅後は、父と祖母と犬様と、仕事から帰ってきた母と食卓を囲み、焼き肉を食べた。腹が痛くなるほど食べたが、思い返せばせっかくだしもっと食べればよかったかな、とも思う。
食事中は、花火大会の録画を見た。これを見て、夏の終わりを感じた。青森の人間はねぶたが終わり、花火大会が終わり、縁日が軒並み終わるともう秋だと考える生物なので(そうか?)。

夕方、仕事の人からメールが来ていたのを見忘れており、夜そのことに気付いた。一瞬でつらい気持ちになってしまった。
やはり社会がつらい。


【15日(火)】
午前中、アニメを見るなどした。
あと夏曲mixを完成させた。コンセプトは「お前を殺す。私も死ぬ」だったので、自分で聴きながら見事に死んだ。まあそれはともかく、選曲や繋ぎが非常にうまくいったと自己評価している。私の中で夏は終わったけれど、夏曲mixはもうしばらく聴き続けられそう。

昼はざる中華を食べた。青森にしかない料理らしく、驚きながらちゅるちゅるした。
昼過ぎ、父と外出。山を登り、生まれて初めて酸ヶ湯温泉に入ってきた。
というか混浴に入ったので、初めての酸ヶ湯であると同時に、初めての混浴でもあった。ライトノベル的な展開は一切なく、異性は妙齢の女性が2人ほど湯着を着て入っているだけだった。男はめっちゃいっぱいいた。
それはともかく、温泉は非常に良いものだった。硫黄の匂いは強かったが、その分、体に染み渡るような心地よさを覚えることができた。心身ともに疲れ切ったら、また行きたい。

帰宅後、和室で一時間ほど死んだように眠る。
起きてから慌てて戻り支度をし、母が仕事から帰ってきてから皆で夕食の寿司を食べ、19時頃、祖母と犬様に見送られ出発。
新青森駅で父と母に見送られ、青森を旅立ったのであった。

5日間の休みではあったが、滅茶苦茶短く感じた。365日間の休みが欲しい。
っていうか青森に住みたいんですけど。

いまは秋ごろにまた帰省することを希望に、生きたい。

8月13日(日)

ギリギリプリキュアの時間に起きれなかった。
午前中から午後まで、ほぼずっとmixを作っていた。意外と時間がかかってびっくりした。一日がっつり使って完成させるつもりでいたが、結局この日は半分も完成させられなかった。
夕方、CDを借りにTSUTAYAとGEOに行く。その後、父と母と祖母と犬様で、墓参りに行ってきた。お盆初日なので。
墓参りの後、友人宅に自分が行けなくなったライブのチケットを託しに行った。家事都合でも仕事でもなく辞める先輩の送別会で行けないというのは本当に悔しい。どうしても休ませてほしいと働きかけたのに、結局駄目だったのも不満が残る終わらせ方だった(逆に言えば、これで自分は努力したのに、と言い訳できるのである程度気持ちは落ち着いてしまっているのだが)。
閑話休題
夜はてんぷらとか煮しめを食べた。煮しめ、個人的には大好きなのでお盆のときのご飯はいつも以上に好き。独り暮らしの部屋に持って帰りたい。
まあそれは無理な話なので、食べられるうちにたらふく食べておいた。いっぱい食べた。

夜中、mixを聴き返して駄目だと感じた。
夜って自己肯定感が極端に下がるものなのだろうか。昼間はぼんやりつらい気持ちが夜になると本当に死にたくなるということも珍しい話ではないし、私(あるいは人)は夜と相性が悪いものなのかもしれない。
それなのに夜型人間なのは、ちょっとつらいな、と思った。

     *     *     *

1日進めただけでも褒めてほしい。眠い。

8月11日(金)~12日(土)

えーっとどこまで書いたっけ。

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【11日(金)】
15分後に起きると遺して6時間爆睡し、一度起きてからどうでもよくなりさらに3時間ほど寝た。
寝過ごした。
本当は徹夜でなのはを見て朝一の新幹線に乗り仙台でなのはの映画を観るはずが、起きて、荷造りをして、部屋を出たのは12時頃のことだった。
鮨詰めの新幹線に飛び乗り、立ったままで仙台へ到着。
突発的に友人と会い、突発的に昼飯を食べ、突発的に二人でゲーセンに入ってQMAをやって別れた。会うことを決めたの自体部屋を出た後のことだったが、こういった不意の展開でも旧友に会えるのは嬉しい。自分が故郷におらず、また友人も故郷にいない人間だとなおさら、こういう機会は貴いものだと思った。

旧友と別れた後は仙台の街を散策し、幾つかの店に入ったり、会社の先輩にばったりあったり、昔住んでいた町へ電車で行ってふらふら散歩してみたりした。移り住んだときはあんなに厭だった街がいつの間にかどうしようもなく愛おしくなっているのは、なんとも不思議な感覚に思えた。
不思議で、だからこそ少なからず寂しい感覚を抱いた。

仙台を満喫したのち、20時前の新幹線で新青森へ向かう。
どういうわけかかなり疲れていたらしく、新幹線の中で珍しく寝た。
寝ていたらいつの間にか八戸で、ほどなくして新青森へ到着。父と母の迎えで実家へ向かい、実家で夕食の残りをいただきながらのんびりした。
祖母は体調が悪いらしく、この日は一言挨拶くらいしか交わせなかった。

一週間ぶりの青森は、すっかり涼しくなっていた。


【12日(土)】
休みの日に限って朝しっかり目覚められる。不思議だ。
祖母は昨日に比べそこそこ元気になってはいたが、朝のうちに病院へ行っていた。
午前中、遂に夏曲縛りのmixを作り始める。曲自体は概ね決めていたので、BPMを図ったり繋ぎの確認をしたりした。
午後過ぎ、父と墓掃除をしてきた。以前はとりたてて好きでもなかったこういう行事が、今では割と嫌いではなくなってきている。大人になった、とかそういうのではなく、単に許容範囲が広がった……人生におけるストライクゾーンが広がった、くらいのものなのだろう。
夕方、母が夜勤にでかけたのを見送り、夜、父に送られて私も外出する。
で、高校時代の同級生だった女性と食事をしてきた。

彼女、何を隠そうかつての私の片恋慕の対象だった女性なわけで。そんな人と食事をしてきたなんて今でも驚きなことなのだが、まあ実際、楽しく食事をしてきたのだった。共通の友人の話とか、社会に出てからのこととか、少しだけ恋愛の話とか、創作のこととか…………いろいろ、話もしてきた。
いろいろ話をしてわかったことは幾つかあるが、ざっくり挙げると
①ふるさとで就職できたのは羨ましいなということと
②全盛期こそ激しく好意を抱いてはいないものの、依然彼女が憧れの相手であることに変わりは無かったということ
③執筆めっちゃしてえなということ
の3点を強く感じた数時間の逢瀬だった。
また(今度は他の友人も交えたりもしながら)会おうと言われたのは、仮令社交辞令だとしても嬉しかった。実際、また会えるとしたらそれは本当に嬉しいことなのだろうと思う。

会はそこそこ早く終わり、22時過ぎに帰宅。彼女のTwitterをフォローさせてもらった。
父と少し雑談をし、深夜アニメを2本見て、寝た。

楽しい一日ではあったが、同時に、かつての想い人と言葉を交わしているのが不思議で、かつ、寂しさや、あきらめのような何かを感じもした。
いつから私はこんな、人との関わりを素直に楽しめない人間になってしまったのだろうか。

     *     *     *

今日中に日曜分まで書くつもりだったが、流石にこれ以上の夜更かしは憚られる。
続きはまた明日。

8月8日(火)~10日(木)

盆の帰省中、少し精神を安定させるために日記執筆から離れていた。
日記執筆は不安定時の精神安定には有用だが、精神安定時には却って不安定さを増長させかねない、というジレンマを持っている(と、私は思ってる)ので。
しかしながらまあ、一週間も溜めると一気に面倒くささが段違いになる。
段違いになるが、頑張らない程度に思い出して書く。
まず、今日は先週の勤務日分から。

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【8日(火)】
会社でやったことは覚えていない。覚えていないので、そんなに大したことでは無かったのかもしれない。
退社後、FGOの水着イベント詳細が発表されていた。
その情報を確認し、ラジオを聴き、アニメを見、一日を終えた。

【9日(水)】
相変わらず会社でやったことを覚えていない。覚えていないのか思い出したくないのかはわからない。
退社後、FGOの水着イベントが始まっていた。
ガチャを回したり、身内連中とSkype通話をしたりして少しばかり楽しんだ。
週末までに完走しようと思っていた魔法少女リリカルなのはStrikerSの視聴は全然できなかったが、まあ、それでもいい。
NEW GAME!!を片手間に見つつ、寝た。

【10日(木)】
仕事では少し遠出をした。朝一から午後過ぎくらいまで。
夕方からやることがほとんどなくなり、どうにか暇を誤魔化しながら仕事をしていた記憶がある。

帰宅後、徹夜でなのはを見ようとするも、あまりの疲れに日付が変わったあたりで仮眠を取ろうとする。
が、のちに気付いたときはもう翌7時だった。
この次の日には帰省であったにも関わらず荷物すらまともに準備できていなかったので、11日にかなりバタバタすることになるが、
それはまた次回の日記で詳述することにする。

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簡易版で、最低限のことを書いた。
仕事のことを覚えていなさすぎてウケる。
こんなところでも社会への不適合性が露呈してしまったと捉えられるのだろうか。
まあいいや。心の調子が優れないので、布団に入る。

8月7日(月)

無限に苦しい気持ちを感じながら出社。
午前中はひたすら苦しかった。
お昼休憩、食欲がまったくわかず、しばらく彷徨ってから見つけた蕎麦屋で無理やり食を行った。お蕎麦は美味しかった。
午後、少し出かけた。車を運転し、上司とマンツーマンゆっくり話ができたので少しだけ気持ちが落ち着いた。
夜、先輩に食事に誘われたので、食事に行ってきた。
味はよく覚えていない。お酒が入ったので苦しい気持ちを膨らませてしまったし、また先輩からの会社の愚痴やこの先待ち構えてるであろうしんどい案件(仕事の内容ではないのが本当につらい。業務のつらさなら割り切れるのに、対人関係のつらさが控えているらしい)を聞き、それまでに一刻もはやく身体か精神が壊れないかなと考えていた。

帰宅してから、気持ちを無理やり奮い立たせるためにアニメを観た。
観ている時は本当に楽しかったが、反動でいま、本当に死にそうな気持ちに堕ちてしまった。
生きたくない。
死にたくない。

8月6日(日)

母が朝から仕事だったので7時半に起きて見送りをした。あとは微睡みながらニチアサを見た。
シエビブはいいぞ。

午前中は本を読んだりFGOをしたりしながら妹を起こしたりなどした。
妹は昼前にバイトのため外出をした。
私は父と祖母と昼飯にそうめんを食べた。何も考えずに食を達成できるので和麺は楽。
午後、私の希望で父に車を出してもらい、少しでかけた。街頭で飲み物をただでもらい嬉しかった。あとねぶた小屋を見てこれた。昨日あまり運行の様子を見れなかったので、よかった。

夕方、またしても眠気に襲われ、畳の上で死んだように寝た。約1時間半。
目が覚めるともう実家を離れる準備をしなければならず、くるしい気持ちをぼんやりと感じながら荷物をまとめ、風呂に入った。
(そういえば昨日分の日記で父と温泉に行ったことを遺し忘れていた。久々に行く温泉で懐かしかった)
そうこうしているうちに母が仕事から帰宅し、父・母・祖母・犬様と夕飯を食べ、19時頃、実家を離れた。
新幹線駅で父と母に見送られ、1944の新幹線で青森を離れる。
先週は苦しい気持ちがピークに達してしまい、新幹線の中で気を喪うことすらできずぼんやりしていたが、今回は無理やり本を読んで気を紛らせた。が、途中酔っ払いが絡んできたのでややつらくなった。

到着駅でタクシーに乗り、部屋へ。つらみを覚えながら、寝た。
日々悲しい気持ちと虚しい気持ちが心に浸っていく。