記憶の水底

7月9日(月)~13日(金)

毎週日曜日には決まって「今週は26時に寝よう!」と決意する。
いま? 月曜の26時20分だねえ。
いまが最高!

【9日(月)】
朝から出張。
人生初の山梨県へ行ってきた。
暑い。ほうとう食べるの下手。でも美味しい。武田・信濃守・信玄像が異様にデカい。そして暑い。
東北人が生きていくには過酷な土地のように思えたが、ちょっとした文化の違いや独特の雰囲気が垣間見えたのは良い経験だった。もはや半分仕事してなかった。これは人生を豊かにする出張である! という気持ちで一日過ごしていた。いや働きもしたけどね?

夕方に仕事が終わり、協力者の方と駅前で一杯ひっかけてから、行きと同じ特急あずさで帰る。狩人を思い出すのは当然として隣に…って言いたくなるのは私だけだろうか。オタクだけ? ならいいか。
東京を経由し、大宮で新幹線に乗り換え。22時過ぎに戻り、一旦会社に寄ったのち、23時過ぎ、帰宅。
テレビを少し見て、26時頃、寝た。


【10日(火)】
仕事! 帰宅! 「あそびあそばせ」1話を観て原作通りの面白さに満足しつつモブに石見舞菜香さんが出てたことでブチ上がってしかしそんなテンションでありながら直後力尽き21時過ぎに寝落ち!
以上。(異常。)(記録量の短さ的な意味で)


【11日(水)】
朝、飲み会が控えていることを思い出して沈鬱な気分になるも、会社に行って急遽延期になったことを知り命拾いをする。
日中の仕事も順調に進み、19時過ぎに退勤。
帰宅後、前日観れなかった「かくりよの宿飯」を観ながら夕飯を取り、その後ベッドにころん、と寝転がり、
気付いたらまたしても、翌朝まで寝落ちしてしまうのであった。


【12日(木)】
8時に起床。昨晩はシャワーも何も浴びずに気絶してしまったため、あまり得意ではない朝シャンなるものをする*1
シャワーからあがり、朝食を取りながらOne Roomを観てまたあの部屋に帰ってこれたことに感動し咽び泣く。

それから仕事に赴いたが、やはり早寝早起きをすると一日の作業が捗る気がする。
だからといって今後は早寝早起きに努めよう! とはならないのも悲しい性。だって遅寝遅起きで夜メインで活動した方が楽しいじゃん。そうよ私は高校受験あたりから夜型の女(男)

21時頃に帰宅。そして今日は少女☆歌劇レヴュースタァライトの第1話開始日! とウッキウキで諸々のタスクを早めに終え、23時からの特別Youtubeライブを視聴しながらワクワク気分で1話を待つ。

こっちのTBS系列では最速放送されないということに気付いたのは、いよいよ1話オンエアーとなるその5分前だった。

私のウキウキは……どこ……と一気に悲しい気持ちになってしまい、しかしどうすることもできないため、
土曜のBSでのオンエアーを大人しく待つことにして、26時前、寝るのだった。


【13日(金)】
平成最後の13日の金曜日らしいですよ。

なんか悪いことでも起きやせんだろうか、と内心ハラハラで仕事をしていたが、結局特にハプニングもなく、19時半頃退勤と相成る*2
自分はこういう、13日の金曜日とか、666とか、ジンクス系を結構気にするきらいがある。未だに夜爪は怖いし、救急車か霊柩車を見かけると通り過ぎるまで親指隠しちゃうし。オカルティストとまではいかないけれど、迷信、気にすることで何かを回避できるならそれに越したことはないなあ、とか、ついついそんなことを思ってしまうのだ。
こういうのって、今どき珍しいのだろうか。それとも誰しも意外と、内心では気にしている迷信やジンクスを1つや2つは持っているものなのだろうか?

……などと一人で考えたところで答えなぞ出るはずもないので、閑話休題

この日は、父親が東京からの出張帰りにこちらへ寄ってくれていた。
事前に部屋の電子錠番号を教えておき、先に部屋で涼んでいた父に迎え入れられる形で帰宅。
その後近所の中華料理屋に二人で夕飯を食べに行く。
翌々週に控えた家族旅行 in 東京の計画を再確認したり、仕事の話をしたりして、父と二人で過ごす数か月ぶりの週末を楽しんだ。
こういう形で人生の先輩から意見をもらえたり、自分がいない間の実家の話を共有してもらえたりするのはとても有意義だ。

帰宅後は晩酌を交わしながらテレビを観て、日付が変わるあたりでお互い疲れからかダウン。
父の布団を敷き、電気を消して、翌日に備えていつもより少し早めに眠りにつくのだった。

*1:小さい頃からずっと入浴は夜にするものだと信じて生きてきたし、これから一日活動しようという時に身体を清める行為が長らく理解できなかったため。だって寝てる間にも汗はいっぱいかくんですって真夏でもない限り信じられないじゃん。真夏でもまあ夏だし仕方ないなってなるじゃん。なるなよ。

*2:ハプニングというか、本来来るはずの業務がいつまでたっても帰ってこない! というのはあった。結局父が来ていることもあって、待っていられなくなり諸々投げ出して帰った。