記憶の水底

†5月8日(火)

夢を視た。

遠く、懐かしい日の夢だ。

足元で小さな物体が、忙しなく動き回っている。
私はそれを目で追い、体で追い、しかしてそれは軽快に私を翻弄する。
場所はたぶん、かつて祖父母が住んでいた家の廊下だろうか。
それは私から離れたかと思うとすぐに近づいてくる。けれどもまた、すぐに私を追い抜いて、遠くへまた離れていく。

だが、私はその動きに特に苛立つこともなく。

むしろとても楽しい心持ちで、その黒くて、小さなそれを追いかけていく。
目線は、いまよりもずっと低くて。動かす身体も、いまよりずっと小柄で。
そんな私に向かって、また、それは近づいてくる。

四肢をいっぱいに動かして、しっぽを力強く振って、つぶらな瞳をいっぱいに輝かせて。

黒くて小さくて、愛おしいそれが――彼がまた、元気いっぱいに、私のもとへ駆け寄ってくる。

そんな遠く、懐かしい日の夢を、見た。
こんな日に限って、不思議をそんな、思い出を。


     *     *     *


朝イチで会議があったため、普段より早く仕事に行こうとする。
9時直前に起きた。
むしろばたばたとしながら家を出て、会社に着き、ギリギリで会議に出席する。
が、幸いなことに今回の私の役目は序盤のみで、1時間もたたないうちに先輩とともに会議を離脱。
それから2人の先輩と一緒に、会社を出て、隣の隣の県まで出張に赴いてきた。

出張先について、簡単に昼食を済ませ、仕事をこなしていく。
私はほとんど見学というか、サポートというか、軽い車の運転などのサポート程度の仕事をする程度ではあったが、とはいえ先輩主導での仕事は滞りなく進み。
15時過ぎには諸々のミッションも終わりかけ、さて割と暇になってきたな、これは予定より早く帰れそうだ、などと思いながら、モバイルwi-fiに繋がったままであったi Pod touchを何気なく開いて、

家族LINEが動いていることに気付く。

昼過ぎに実家で飼っていた犬が亡くなったとの一報が入っていた。


18歳と4か月だった。
ミニチュア・ダックスフントというその犬種にしては、相当に長生きした方だったと思う。
病気もしていたし、"ボケ"もかなり入っていたしでだいぶ弱ってこそいたものの、話を断片的に聞く限りでは、老衰――あるいは大往生といってもいいくらい、穏やかな逝き方だったとのことで。
とはいえ、何度も弱っては快復してきただけに、俄かには信じがたく、ましてここまで長生きをしたのだから、せめて19まで、あわよくば20まで……と思っていただけに、知らされた直後の衝撃は、本当に筆舌に尽くしがたいものだった。
結果的には、最上に近い最期だったかもしれないけれど。
如何せん、どんな形であれ近しい存在の喪失は、とてもすぐには受け容れることなどできない。


故郷での家族の死を知ったのちも、確かに仕事を行っていたし、滞りなくミッションが完遂されたのも覚えている。
予想通り、予定より早く解放され、先輩方と少し早めの夕食をとって、日没少し前の新幹線に乗って、帰ったところで前々から予定されていた会社の歓迎会にギリギリ参加して僅かな時間ながらいろいろな人と話をしてけれどもいつも通り二次会には行かず一旦仕事場に戻って軽く溜まっていた業務を済ませてしとしとと雨が降る中22時頃部屋に帰ったことすら、覚えているのだけれど、
その実、今思えば。
いま自分が経験しているあらゆる現実を現実と認識することはできず、
どこかふわふわとした世界にいるような感覚にさえなりながら、
ただ一日を、ぼんやりと過ごしていただけだったのかもしれない。

それでもかろうじて残っていた行動力を駆使し、どこかのタイミングで会社の人に相談して、急遽、翌日一日だけ休みを貰えることには成功した。
日中動くLINEの中、早くも明後日の朝には荼毘が行われてしまうとのことだったため、
形のあるうちに、最期に、どうしても会いたいと……そう思って、行動した結果だった。

仕事と付き合いが終わって、部屋に帰ってからも、依然としてどこかふわふわとした、あの歪な穏やかさの感覚は消えなかったように記憶している。
ただ、Twitterではいつも通りに振舞おうと思ったりして、しかしとても、いつも通りの夜を過ごす気にはなれず。
何を考えているかも曖昧な状態で……いや、きっと大好きな実家のお犬様のことをずっと考えながら、26時頃、ひとまず眠りに就く。

今日が全て夢で。
いっそ今朝の夢こそが現実である方がずっと良いと、そう思うくらいには、ひどく悲しい気持ちで眠りに就いた夜だった。