記憶の水底

9月16日(土)~18日(月)

【16日(土)】
昼前に起床。
部屋を掃除し、平日中に見れなかったアニメを消化して、16時。
父親がやってきた。
出張の帰りに時間ができて寄ってくれたとのことで、日曜日まで滞在してくれた。
夕方少し休んだのち、バスで30分ほどの温泉へ。私が先週初めて行き、是非父にも紹介したいと思っていたところだったので、ちょうどよかった。
温泉では一度湯浴みをし、二階部分の食事処で夕食をとったのち、再び入浴。炭酸泉で温まった。
帰りはタクシーで近所のドラッグストアまで行き、食料と飲料を調達して帰宅。ドラマを見たり、いろいろ話したりした。

やはり人と一緒にいると、ある程度自分が保てる。
それは自分の素ではなく、自分がこうありたいという理想の自分の再現に過ぎないのだけれども。そちらの自分は、自分の理想が入っている分、素のつまらない自分よりも気楽に生きられる気がする。社会ではそうもいっていられず、また社会における自分の理想や他人の理想を未だはかりかねているため、どう振舞えばいいかわからない。つらい。ああ、また社会の話をしてしまう。
社会の話とはいったが、結局今日も、父親に社会の悩みを打ち明けることはできなかった。
後ろめたさと悔いがある。


【17日(日)】
10時過ぎに起き、多少の準備をし、父と近所のファミリーレストランでブランチを食べた。
本当はご当地のラーメンや美味しいランチが食べられるお店に行きたかったのだが、あいにく近場になかったり休業日だったりしたため、ファミレスで代替。もっとも、悪天の中では行きやすかったし料理は美味しかったしで、結果オーライだったような気もするが。
13時ごろ帰宅し、1時間半ほど父と部屋でいろいろと話した。台風の話とか、家族の話とか、競馬の話とか。気負わず話せる人が近くにいるのは、それだけで、嬉しい。
14時過ぎ、父は帰っていった。このままついていって帰省することも考えたが、台風で帰れなくなったり、中途半端な帰省でかえってつらい思いをするのも怖かったので、断念した。
次に父に会えるのは、おそらく11月頭だと思う。
11月頭。どんな自分がいるか、想像が全くできない。

父が行ってしまったのち、不意に昼寝をしてしまう。
夕方ごろ起き、台風の気配を感じる中買い物をし、あとはずっと部屋に籠っていた。
この時から翌日の夜、仕事の足音に怯えて過ごす自分を想像し、大変に憂鬱な気分になる。僅か先の未来にも希望が持てない。
つらい気持ちを殺すためにアニメを見たりゲームをしたりしていたら、いつの間にか翌4時になっていた。
寝れない頭を無理やり布団の中にしまい込んで、強引に目を瞑った。


【18日(月)】
11時頃起床する。夜更かしの弊害。
朝食を食べながらアニメを見た。あと日中は、幾つかの文章を読んだ。文章を読んでいる途中に居眠りしたりもしてしまったが、文字を目で追うのは、心を安定させるのに少し役立つ。追いたい活字はまだまだたくさん溜めているので、年内中に少しずつ確認していきたい。

夕方(居眠りする前)、少し散歩もしてきた。台風の影響はほとんど過ぎ去り、程よい天気の中川べりを30分ほど歩いたりした。外の空気を吸うと無性に寂しくなる一方で、いまなら何でもできそう、という気分になってくるのはなぜだろう。夕焼けと風のにおいが、まだ社会を知らなかった子供時代に感じたものに少し似ていたからだろうか。

夜、夕飯を食べ、友人と少し通話をした。
悩みを幾つか聞いたが、こういう時、自分は受け止めきれず、うっかり意見を言ってしまうので本当に良くないと反省する。何様のつもりなのだろう、と反省し、また、相手が自分を選んで話をしてくれているのに自分は何かの悩みを吐露することができないということに落ちこみもする。
通話後、少しぼんやりし、ぼんやりとアニメを見、風呂に入り、アニメを見た。はからずも最終回を観たことになってしまい、喪失感を覚えた。

寝て起きればまた社会が始まる。養う相手もおらず、身に着けていくべきスキルもわからず、目的や目標もなく働き続けるこの社会に、どんな意味があるのだろうか。
一年前、自ら動いて手に入れた生活のはずなのに、すぐにこうして疑問し、少なからずの後悔をしている自分が情けなくて仕方ない。

情けない、と書いていていま気付いたが、もしかしたら自分は「自ら選択した行動に不満を漏らすこと」を禁忌としているのかもしれない。
そして得てして現況というのは少なからず自分の選択が介在した結果の産物なので、そこに悩みが生まれても、禁忌を覚え、誰にかに話すことを躊躇ってしまうのかも。
まあ、それが解ったところで、どうしようもないことには変わりないのだが。

18日(月)綴りの日記内で、特に日付の関係ないことを長々と書いてしまった。
寝て起きればまた社会が始まる。だからこうしてだらだらと夜更かしをし、文章を書き散らしているが、それでも明日はやって来る。
だから、かなしいけれど、そろそろ今日を諦めて、寝る。